« ギタリスト復活中 | トップページ | Toontrack Solo »

(速弾き)ギタリスト復活中

(速弾き)ギタリスト復活中

ことギタープレイだけに限って考察すれば、メタル方面からの速さと、ジャズ的側面からの速さとは、その質が全く異なる。
誤解を招くことは承知で言い切ると、メタルなそれはインテリジェンスよりはマッスルという大雑把な区分が成り立つかもしれない。
どちらかと言うと、ジャズは演奏の速さそのものに意味を求めないわけね。
もちろん速いパッセージを弾けるという技術力は評価されるけれど、基本的には、テンポが速くなればフレーズも速くなるって関係でしょ。
ところが、メタル系ギタリストの速さは、それだけで意味を持ちえそうだって言う部分が、たぶんちょっとある。


極論しちゃうと、メタル的速弾きって、弾いている内容にはあまり深い意味は無いわけね。(ごめんなさい、あくまでも極論です)
ネオ・クラシカルな様式美と持ち上げても、ピアノで弾けば普通のバッハだったりする。
イングヴェイ的と称される荘厳でドラマティックなソロとかだって、結局はメロディック・マイナーとかハーモニックマイナーとかを、恐ろしいほどのスピードで弾き倒しているだけのことが多いでしょ。
ちょっとひねってディミニッシュとか使えば知的な理論武装も実装されていそうだけど、多くは単なるディミニッシュ・アルペジオを光の速さで繰り出しているにすぎないわけ。
ヴァイ風なリディアン・フィーリングと言っても、まあ#4thを軸にリディアン・スケールを弾くだけだし、エスニックなムードと言えばフリジアンやロクリアンといったb9thを特徴音とするスケールに依存しているのみ。
もともとコードに3rdや7thを使う場面が少ないメタル系アレンジでは、コード・ファンクションという概念が希薄になるわけで、モード的なスケールを唐突に使っても調性的な違和感は感じないからね。
つまり、メタル的楽曲では、和声の機能的側面は、ある程度無視できちゃうかと。
このあたりが理由で、ジャズな人が、メタル的技巧を指向しないというのも理解できる。
「課長!なんでも速く弾けば良いのですか?」「ま、それも社の方針だから・・」「それで音楽が発展できるのですか!」「まあまあ、落ち着いて、君」
確かに、こんなギターを両手でタッピングして弾いても、「だから?」って醒める感覚も分からなくは無い。(Vaiな人、ごめんなさい)


Steve Vai Guitar


実際、教則ビデオとか見ていると「ほれほれ、このフレーズはゆっくり弾くとダサイけど、これを速く弾くとすっげえトリッキーに聞こえるでしょ、うひょひょ」等と堂々と解説する神業メタル・ギタリストも沢山いるんだもん。
前述したジャズ側の価値観からしたら、速いから良いフレーズって理屈は成り立ちにくいことも頷ける。


でもね、それって「技」なんだよな。
もっと軽く表現すれば「芸」と言っても良い。
だけど「芸」を極めれば、それなりに文化と成り得るのではないだろうか。
もっと分かりやすく比喩すると、メタル系速弾きってスポ根の世界に通じるのかもしれない。
これは汗と涙と根性の、肉体的努力によって達成すべき目標なのだ。
星飛馬の大リーグボールとか、サインはVのX攻撃とか、現実的なところではキックの鬼:沢村忠の真空飛び膝蹴り的な世界。
逆にちょっと分かりにくかったか。
例えば段違い平行棒の月面宙返りそのものに現実的な意味は無いかもしれないけど、スポーツの感動って、そういうことで測れないでしょ。
それを言い出したら、そもそも「段違い平行棒」に意味が無いもの。
だけど、アクロバティックなウルトラCが炸裂したら、それだけで国家の威信を保てる事だってある。
それだけで、人生に希望を見いだせる子供達もいるんだよな。
どうもジャズ側の価値観には、この部分が欠落しているような気がする。


でね、スポーツの世界を見るまでもなく、「技」だって時代とともに進化しちゃうわけよ。
大リーグボール1号がオズマに打たれたら、次は消える魔球、大リーグボール2号になるわけよ。
2号が花形満に攻略されたことによって、星飛馬は自分の野球生命を犠牲にして大リーグボール3号という究極の「技」を編み出したわけね。
だって、バットをよける魔球だよ、これこそ進化。
例えばジャズ側の演奏家を例にとっても、今更、アル・ディメオラが特別に速いとは誰も感じないでしょ。
つまり聞き手の感性も速度に対応して進化しているということ。
だから、速弾きの世界にも、新しい「技」が求められてきた。

例えばこれ(初歩的な1フィンガーのタッピング)とか、


これ(基本的なスイープ・ピッキングによるアルペジオ)。


現代のメタルな速弾き業界では、こういったスイープ・ピッキングとか、タッピングとかの新しい「技」は必要不可欠。
メタルのリング上では、こういうことができないと勝負にならない。
つまり、今更、大リーグボール1号は投げられないわけね。
まあ、ジャズ畑にもスイープ・ピッキングの基本形であるエコノミー・ピッキングの権威で、それだけでGITの講師にまでなったフランク・ギャンバレみたいな人もいるし、ま、今時は普通のフュージョン・ギタリストでもライトハンド奏法なんて珍しくもない。
突然変異的にはボスハンド・タッピングの奇跡スティーブ・ジョーダンとかも存在しているわけだが。
ただ、それを「技」にまで昇華しているかという基準だと、現時点ではメタル業界に軍配が上がることは事実。


ジャズ的視点で冷静に解析しちゃえば、スイープ・ピッキングで弾かれるのは、ジャズの人ならば弾けと言われても意地で弾かないような超単純な分散和音にすぎない。
だって、特性上アルペジオ程度しか弾けない奏法だから。
タッピングにしても、たとえそれがボスハンドまで進化しても、「2人で弾けば、もっといいのに」という制約論に展開できちゃうわな。
ただ、これらの考察は、あくまでも音楽理論的な側面で考えた場合であって、「技」とか「芸」とかの視点では別の主張も意義を持つはず。
でも、その2つの主張って、最終的には「文化」とか「芸術」という部分で統合できるような気がするわけ。


実際、スイープ・ピッキングが腰を抜かすような速度で決まれば、それが単純なトライアドの組み合わせであっても、血湧き肉踊る、イッツ・パーティ・タイムだ。
初歩的な指1本のタッピングによって弾かれる何の変哲も無いスケール上のトリルであっても、それまでの常識ではあり得ないほどの速度でフレーズが繰り出されれば、それは理屈を凌駕する。
そこに新しい世界が見えるかもしれない。
それは音楽の進化であり、人間の感性の成長なんじゃね?


さて、そろそろ結論。
ジャズを演奏する為の醍醐味が「技」になくて、新しい理論をいかに証明して具現化するかという探究心にあったことは事実。
それはそれで、感動できる。

でもさあ、自分的には「技」も楽しい。
「芸」でも感動できる。
それを否定しちゃったら、なんだかつまらない。
状況によっては、ニュートリノの存在を実証する為の加速装置を寝食を忘れて設計しているエンジニアより、夕暮れのグラウンドをひたすら走る名も無きランナーのほうがモテるかもしれないし。


つーか、ジャズのインテリジェンスを持ちながら、「技」も繰り出すギタリストがいたら、けっこうカッコ良いかもしれない。
Alex Machacek とかの新人類ギタリストの出現は、そのあたりのトレンドも予感させちゃうわけ。
で、やっぱ、コンテンポラリーな速弾きの「技」を身に付けようってコンセプトが、最近の私。


いい歳になっても、まだ速弾きしてます。
すっげえ長文の言い訳。
すみません。


ちなみに、前述のフランク・ギャンバレと、スタンリー・ジョーダンの演奏を貼っておきます。
ギャンバレはスイープ・ピキングを用いたジャズ的なソロ。
この人はスイープピッキングを「エコノミー・ピッキング」として理論的に体系化し、それだけでGITの講師にまでなった訳で、そりゃまあ凄いソロ弾いてます。
自由自在に「モーダル」なスイープ技を繰り出す境地にまで達しているわけで、ギタリストなら誰でもが目に点になるくらいの驚き。
Steve Smith による Vital Information の怒濤の演奏。
Steve Smith (Drums)

Baron Brown (Bass)

Tom Coster (Keyboards)

Frank Gambale (Guitar)

Bill Evans (Saxophone)

ビル・エバンスの怒濤のサックス・ソロと、Stive Smith のドラムも聞き物。

ジョーダンのほうは、もう、タッピングを駆使したジャズ芸そのものですわ。





« ギタリスト復活中 | トップページ | Toontrack Solo »

Essay」カテゴリの記事

Movie」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521702/42234834

この記事へのトラックバック一覧です: (速弾き)ギタリスト復活中:

« ギタリスト復活中 | トップページ | Toontrack Solo »