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ルーツ的なもの その7 [ Quincy Jones という存在 ]

ルーツ的なもの その7
[ Quincy Jones という存在 ]

自分が作編曲家を目指した最大の動機が Dave Grusin であったことは過去のエントリーでも書いた。


ただ、コンポーザーやアレンジャーとしての存在意義とか立脚点とか、つまり音楽をクリエイトするという行為に対峙する時の根源的な拠りどころとしては、常に Quincy Jones が精神的な指針であったことは事実。
その意味では、私はグルーンよりクインシーに支えられたのだと思う。
Quincy Jones がいたから、音楽制作の現場で自分自身を見失わず、自分を信じて乗り越えられた山はある。

Quincy Jones


昔の事を書こう。

過去の自分は、音楽制作を監修し最終的な作品にまとめあげていく、という過程に常に身を置いてきた。
それはバンマスであったり、コンポーザーであったり、アレンジャーであったり、ミュージカル・ディレクターやプロデューサーといった微妙な立場。
あの時代のそれらの行為は、企画サイドの机上の役割ではなく、常に現場で行われた。
要するに「現場を仕切る何でも屋」だ。
下手をするとタレントへの歌唱指導や演奏指導までやらされた。
まあ、レコード会社を中心とした音楽ビジネス的な視点で見れば、当時の私なんぞの無名な作編曲家の立場は、現場での使いっぱしり的ニュアンスも多分にあったわけで。
もちろん、自分も一応はギタリストなわけで、当然プレイヤーも兼務することはあったが、基本的には前述の立場に重きがあったことは事実。


だいたい、現場のプロデューサーなんて曖昧な立場は、常に自分の存在意義を見失い模索する。
企業と現場との狭間、ミュージシャンと楽曲との狭間で、もがき苦しむのが私の立場だった。
その責任範囲は広く、人間関係の調整にまで及ぶ。
そういう仕事だと割り切るしかない。

そんな立場で、実際に寝る暇もなかった数年間を経験し、心身ともにボロボロになる経験もした。
昔の話だが、それなりに修羅場もくぐっているのよ、私も。
疲労で朦朧とした頭で、明け方5時頃に「そろそろ寝ようか」と思った瞬間に電話が鳴り、いきなり「山ちゃん、曲できた?」と聞かれる。
それから数時間後には、殴り書きの譜面を持って高速道路に乗っている自分がいる。
いくつかのバンドのリハーサルを仕切り、タレントのバンドのライブをこなし、深夜に帰宅し、また譜面に向かう毎日。
これ、ギターなんぞ練習できる環境じゃありません。
今考えても、我ながら良くやった思う。


そんな毎日の中で、現場で実際にやっている事はと言えば、前述のような不毛とも取れる潤滑油的作業。
いろんな人に気を使い、嫌な役目も引き受け、いろんな文句を言われながら現場を動かす。
タレントには嫌味を言われ、ミュージシャンには嘲笑され、クライアントからは尻を叩かれる。
それでも、自分の仕切りで、そこで音楽が演奏されなくてはならない。
「自分のやっている事に意味はあるのか?」という疑問が沸くのは当たり前。
そして「これで自分の音楽をクリエイトしていると言えるのか?」という有りがちな疑問に続く。
更には「自分が目指して、やろうとしている音楽って一体何?」という、けっこう根源的な問いにまで発展する。

それらの問いは、全て、自分の曖昧な立場に起因したものだ。
コンポーザーやアレンジャー、ディレクターとかプロデューサーとしてのアイデンティティとは?
ギターすら弾けなくなった自分に、何か意味があるのか、と。
自分自身を信じることができなくなる。
「自分は本当に音楽をクリエイトしているのか?」という疑念。
自信が無くなる。



ふふふ。
けっこう暗い話になったな。

でね、ここまでの話は、一般論。


実は、私としては、そんなに深くは悩まなかったわけ。
だって、Quincy Jones がいたからね。
自分的には、早くから Quincy Jones という立場に、当時の自分がやろうとしている理想を見つけていたから。
それは、まさにミュージック・マジックと形容すべき奇跡だ。
音楽をクリエイトするという行為の究極の姿が「Quincy Jones という立場」であるという考えは、今でも揺るぎなく確信している。

Quincy Jones


1970年終わりから1980年代前半までの数年間に起きた音楽業界の世界な変革は、クインシーから発せられた波動によるところが大きい。
とにかく、Michael Jackson の「Off The Wall」あたりから「Thriller」、ベンソンの「Give Me The Night」、ルーファスからブラジョン、そして自己名義の「Stuff Like That」「The Dude」あたりまでのクインシーは、神ががっていた。
その時期、クインシーの作り出した潮流が時代を象徴していた。

Sound .. Stuff Like That


そこに Quincy Jones がいるだけで、そこに居合わせた全ての人間の最高のパフォーマンスが引き出される。
そして誰しもが予想もできなかった有機的な反応が起こる。
それは個々人の能力を超え、大いなる奇跡になる。
それが結果的には Quincy Jones の音楽になるのだ。
誰が聞いても、Quincy Music になってしまう。


The Dude

極論を言えば、クインシーは何もしない。
もちろん、ビックバンド時代は別だが、活動領域がプロデューサーにラップしてからのクインシーは、専門的な作業からは遠ざかる。
常にそこにいるだけだ。
基本的に曲は書かないし、リズム・アレンジだって Rod Temperton(嫌いだけど)とか Greg Phillinganes(けっこう好き)にやらせてきたし、ホーン・アレンジだってJerry Hey(大好き)がお気に入りだった。
コーラスやストリングスもその道のプロに一任する。
( Tell Me a Bedtime Story でのハンコックのエレピとユニゾンするストリングスには鳥肌が立ったね。)
シンセサイザーのプログラミングについても、雰囲気だけ伝えて、Michael Boddecker とかの専門家に任す。
実際に楽器を演奏するのも、既に自分の音楽性を確立し、ピンで立てるスペシャリスト達。
Stuff の独特のリズム・フィーリングがトレンドだった時期には、まるごと Stuff を起用してアルバム1枚を作ってしまう大胆さ。
エグいシンセ・ソロが欲しければ、Herbie Hancock すらも呼んでしまう。
録音は Bruce Swedien という大御所が、Accusonic Recording Process という独自の理論・手法を駆使して緻密に組み上げる。
現場に入ったプロデューサーは、実務的にはあまりやることが無い。

ところが、出来上がった作品を聞くと、そこにはまぎれもなくクインシー・ミュージックがあるのだ。
クインシー・ジョーンズがスタジオに入ってきただけで、そこにクインシー・ミュージックが生まれる。
存在こそが指針、そういう存在。



そもそも、商業音楽の現場では、コンポーザーやアレンジャーなんぞが、譜面を細かく書くことは無い。
私の曲やアレンジは、どちらかというと細かい決め事が多いので、普通の人よりは音符を書くほうだろう。
しかし、それでも基本的には演奏するミュージシャン任せのパートのほうが圧倒的に多い。
真のアレンジャーは、譜面で演奏をコントロールするのでは無く、その場の空気感であったり、雰囲気であったり、つまりミュージシャン達が暗黙のうちに共有するベクトルを感じて、それを自在にコントロールできなければならない。
譜面などは単に道順を間違わない為の目安に過ぎない。
ちょっとした目線であったり、表情であったり、何気なくカウントする爪先であったり、そんな現場での「気配」的なものが、現場を動かす為の影響力になるのだ。
そして、その、もっと大きな、究極の影響力が「Quincy Jones という存在」なのだと思う。


譜面を書いたり、指揮をしたり、音色を決めたり、テンポを出したり、そんなことが「音楽をクリエイトすること」の本質では無い。
音楽は、その場の必然として、自然と湧き上がってくるのだ。
私には、私以外のスペシャリスト達を納得させるだけの音楽的知識や技術力などない。
しかし、真の音楽は、個人の能力を超えた「現象」として現れるのだ。
企業の思惑、企画としての方向性、ミュージシャン達のスキルと嗜好、時代のニーズ、その日の気分。
そんな混沌とした現場の空気が整理され、ベクトルを合わせることができれば、そこに音楽を響かせることはできる。
文句を言われながら、頭を下げて、悔しい思いをして、譜面上で妥協を重ねたとしても、それでも自分の音楽はできる。
道順を示すのではなく、行きたい方向を明確に示すこと。
正しいか間違っているかなんて、誰にも分からないのだ。
自分が信じる方角に舵をとれば良い。
自分が前に進み、明確な指針となれば良い。
それが現場に伝わり、そこに自然と音楽が湧き上がったとしたら、その音楽は自分1人の限界を超える。
それこそが、自分が信じるミュージック・マジックだ。


自分のやっていることに間違いは無い。
自分のやっている事の、ずっと先には、クインシー・ジョーンズという存在がある。
あの時期に、マジに、そう思えたのだ。
だから、笑ってやってこれた、
だから、寝る暇もなくて倒れそうな毎日でも、ミュージシャン達と朝まで酒を飲んで騒げた。
自分が自分の音楽を作ることの喜びを感じることができた。
そういう生き方を、私はクインシーから学んだ。


ほらほら、けっこう感動的で、明るい話になったでしょ。
音楽なんて、変に悩まない方が良いのよ。


で、Quincy Jones の1981年の日本公演の動画を貼っておきます。
このライブ、実際にTFNのベーシストと、当時のキーボーディスト達と行きました。
全世界的に大ヒットした「Roots」のサウンド・トラックをオープニングに、最新作だった「The Dude」からのナンバーまで圧倒的なスケールで聞かせてくれた。
Patti Austin、James Ingram、John Robinson、Toots Thielemans 等の凄腕ミュージシャン達に加え、原信夫とシャープス&フラッツ、更にはストリングス・セクションという豪華絢爛なコンサート。
2時間以上休憩なしのぶっ続けのステージながらも、ひと時たりとも目を離せない疾走感すら感じたライブであり、今でも強烈な印象として残っている。
最後の「愛のコリーダ」では全員総立ち、我を忘れて踊りまくり。
興奮覚めやらぬまま、呆然とした状態で帰りの電車に乗った事を憶えている。
TFNのベーシストは単にルイス・ジョンソンに打ちのめされただけだったが。



それと、プロモーション・ビデオも1本。
1989年の「Back on the Block」から Secret Garden 。
こういうスロー・テンポのアダルトな楽曲は、クインシーの洗練が良く伝わります。
しかし、いつもながら、クインシーってコーラスの使い方が絶妙だわな。
このアルバムも、Ray Charles、Miles Davis、Sarah Vaughan、George Benson、Joe Zawinul 等々、すっごいミュージシャン達のオンパレード。
アカペラの超傑作、「Wee B. Dooinit」にも驚いた。
これでグラミー6部門制覇。まさにグラミー・オヤジの真骨頂。




ところでね、個人的に感じている Quincy Jones 論的な事を書いてしまうと、Quincy Music とは時代を映す鏡だと思う。
その時代その時代の音楽の最も優れた側面を抽出し、時代のアイコンとして見事に合成する。
作家や演奏家達が気がつかなかった可能性すらも引き出し、その時代の本来の主張と意味を明確にする。
その嗅覚と手腕は天才的。

逆な言い方をすれば、Quincy Jones は、決して時代より先へは進まない。
音楽シーンの最先端に居ることはあっても、音楽シーンを牽引する立場には成り得ない。
もちろん、時としてシーンそのものの意味すら変えるインパクトを発しはするが、自ら時代の先に逸脱する事は無い。
それは彼がミュージシャンでは無く、プロデューサーという立場だからかもしれない。

だから、時代が面白い時はクインシーも面白い。
例えば、あの1979年から1980年代前半までの、燃えるようなパワーが音楽から発せられた時代。
様々な才能が同時多発的に生まれ、新しい価値観を提示した時代。
あの時代のクインシーは凄かった。

逆に時代が冷めてしまうと、クインシーもつまらなくなる。

まあ、このあたりの事は、また別の機会にじっくりと考察してみたいけれど。



さて、最後に、我々の世代でクインシーの力量を画面で見れたのは、これが最も印象深いのではないか。
1985年の「 USA For Africa 」のプロモーション・ビデオ。
これだけのメンツを仕切れるのって、やっぱクインシーくらいしか思いつかんわな。
私は身にしみて理解しているけど、タレントとかアーティストとかって、嫌になるほど「わがまま」だからね。




以下は、泣けるメイキング動画のURLです。

メイキング動画1

メイキング動画2

メイキング動画3

メイキング動画4

メイキング動画5


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