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ルーツ的なもの その8 [ Terje Rypdal ]

1970年代初期の Miles Davis の実験的なコンセプトを継承しつつ Jazz と Rock の狭間を自由に行き来し、ある時はヨーロピアン・フリー・ミュージックの中で浮遊し、又ある時は完全に自己満足的なオーケストラ作品を書いて現代音楽に疑問符を投げかける。
時に何を血迷ったか若手ヘビメタ・ギタリストと喜々として共演し、何の裏も無い普通のハードロックを堂々と演奏する。
意味不明な歌バンでプログレ的芸風を暴露したか思うと、突然地味なフュージョン・バンドを結成して精力的に活動したりする。
誰がどう考えても歪ませたストラトキャスターのトーンがトレード・マークでありながら、影響を受けたギタリストに Wes Montgomery の名を挙げる。
Terje Rypdal、1947年8月23日、ノルウエーのオスロ生まれ。
全くつかみどころのない、変態ギタリストである。


Terje_Rypdal


当方、今時点で、この節操なしのオヤジをフォローしているかというと、必ずしもそうではない。
しかしながら、遥か昔の一時期、今に至る当方の音楽的嗜好にけっこうな影響を与えてくれたという点では、ルーツ的なものであることは事実。

当方が20歳前後の頃、ECM レーベルの 3大ギタリストと言えば、Ralph Towner と John Abercrombie と、この人だった。
その 3人の中でも特に異端のオーラを放っていたのが Terje Rypdal だ。
だって、あの ECM レーベルでだ、ストラトキャスターをギンギンに歪ませたトーンで弾くこと自体が普通は有りえないでしょ。
曲によっては、アナログ・リズムマシンのチープな打ち込みまで使用してしまう大胆さにも唖然とするし。

確かに、Ralph Towner の「Solstice (1975)」と「Solstice - Sound and Shadows (1977)」は当方に衝撃を与えた。
その深遠な音世界は、今に至っても当方の価値観の根底を支える。
しかしながら、1970年代後半に Terje Rypdal がリリースしたいくつかの作品は、音楽に残された可能性の広さを見せつけられたという面で Ralph Towner 以上の驚きであった。


1976年、After The Rain
1978年、Waves
1979年、Terje Rypdal / Miroslav Vitous / Jack DeJohnette


この 3作品だけで、私にとって Terje Rypdal は特別なギタリストになったのだ。
時間が止まったかのような北欧の空、雨上がりの潤いに満ちた冷気、熱を持たないクリスタルのように透明な光。
絶対的な孤独の中で凝縮され塊となる歴史の意志は、いつしか普遍の希望を浮かびあげる。
それは静寂の中に、かすかに感じる風の音。
本能的かつ必然的な、命への賛美。

この3作品、音作りの手法は全く異なるが、いずれも Terje Rypdal の代表作であることは間違いない。
つーか、Terje Rypdal を普通に語るのであれば、この3枚だけ押さえれば、それで良いはず。
この人の場合、前述のように節操無く広いフィールドで作品を出しているので、中には恐ろしくつまらないアルバムもあったりして危険。
いいかげんにしろよオヤジ!と怒鳴りたくなるアルバムだって、1枚や2枚じゃないわけで。



「After The Rain」は Terje Rypdal が1人で全ての楽器を多重録音し、奥さんの多重コーラスを加えた非常にパーソナルな作品であり、独特の浮遊感に充ち溢れた音世界が特徴。
あまりにも美しいメロディの断片が、たゆたうハーモニーの中で見え隠れする。
今となってはぬるま湯的な部分も鼻につくが、間違い無く初期 ECM を代表する作品だろう。


After The Rain



「Waves」は、バンドのダイナミズムから水墨画のような情景を浮かびあげる。
それは森林を吹き抜ける湿った風であったり、荒れ狂う海原であったり、夕陽が沈んだ後の麗々しい山々のシルエットやフィヨルドにかかる雲海、白夜の地平線に佇む冷たい太陽であったりする。
北欧の厳しい自然の情景の中に、宇宙の真理すら見える気がしてくる。
モノトーンで統一されたムードはアルバム全体を通すと冗長に感じてしまうのだが、Palle Mikkelborg のメロディックなフリューゲル・ホーンが程良いアクセントになって飽きるほどの事は無い。
当時は Jon Christensen のシンバル・ワークも新鮮だったし。

Waves


「Terje Rypdal / Miroslav Vitous / Jack DeJohnette」は、一部でフリー・ジャズの様式を借りながら、静かに Miles の周辺を徘徊する音世界を聞く事ができる。
天地創造の混沌、時間が流れ出す前の凍ったパルス、行き場を模索するエネルギー、そして圧倒的な美。
Rypdal-Vitous-DeJohnette といういずれ劣らぬ実力者達の、三者三様の鬼気迫る美意識が見事に融合する。
後年になって同じトリオで続編も出たが、やはりこの作品に収録された奇跡には及ばない。

Rypdal Vitous DeJohnette



でだ、
当方がストラトキャスターという不完全なギターと対峙する時の、指針と言うか、根拠というか、漠然とした後ろ盾は、間違いなく Jeff Beck という存在なのだが、実は Terje Rypdal もかなり大きな影響力を持っている。
当方にとっては、Jeff Beck と Terje Rypdal だけが、ストラトキャスターというギターの本質を教えてくれたと言える。
この意味でも、ストラト弾きの自分にとって「ルーツ的なもの」と言う事ができる。
もちろん、今の自分のプレイに直接的な影響が皆無なのは認めた上での話。
あくまでも、気持ちの問題だから。
前述の3作品における、ボリューム・ペダルを駆使し、トレモロ・アームで繊細な表情を付け、デレイとリバーブを効果的に使った珠玉のディストーション・トーンは唯一無二。


とにかくだ、ECM レーベルの黎明期に、Terje Rypdal の果たした役割は大きかった。
まあ、ECM レーベルの立ち位置的にも、ヨーロピアン・ジャズ独特なクールな肌ざわりや、一見哲学的なコンセプト、ブルースをルーツに持たない異質さがアメリカのマーケットには受けたわけね。
その中にあって、Terje Rypdal のモダンジャズ・イディオムから遠くかけ離れた、捉えどころのないギター・サウンドが色んな意味でキャッチーだったことは事実。
1970年代には「Miles Davis はすぐにバンドを解散し Terje Rypdal のバンドを丸抱えすべきだ」とか、1980年代には「Miles Band のジョン・スコの後釜は Terje Rypdal しかいない」とか、批評家達の無責任な評価も肯ける。
まあ、当時の世の中が Miles に期待した「事件的な変貌」をサポートできるとしたら Terje Rypdal は適任ではあったかもしれない。

個人的には、Terje Rypdal からの間違った影響でヨーロピアン・フリー・ミュージックに傾倒し、我々 TFN でもインプロビゼイション合宿なるものを数回実施したほど。
3泊4日くらいで、静岡県は大井川鉄道沿いの人里離れた山間部に分け入る。
茶畑の中の廃校となった中学校の教室に機材をセッティングし、もちろんそこで寝泊まりもする。
この合宿は各員が現地に到着した時から、既にインプロビゼイションは始まっている。
いつ誰が弾き始めるのか、どんな音を出すのか、そして他のメンバーはどのような反応を見せるのか。
誰が弾かないのか、誰がどんな方法でいつ止めるのか。
いつ食事をするのか、いつ風呂に入るのか、そしていつ寝て、何時に起きるのか。
譜面も打合せも無く、ただ、食って飲んで音を出す。
窓から見える景色、吹き込む風、農家のおばさんが作ってくれる素朴な昼食、二日酔いの脱力感。
日常の全てがインプロビゼイションであり、森羅万象との駆け引きであり勝負なのだ。
しかも、眉間に皺を寄せたシリアスさは微塵も無く、当然ながらヨーロッパの歴史や湿度等はハナから眼中に無く、常に大笑いの中で調和と不調和の狭間を浮遊する。
壮大なる勘違いとは言え、こういう合宿を2年間で3回くらいは実施したのだから、節操の無さにおいては我々も相当なものではあった。
突然ブルース進行になったり、気が付けば後期 King Crimson 的シーケンス・パターンが繰り返されていたり、誰がどう聞いても Steve Khan の Eyewitness が入って来たり、ベースにつられてラテンになったり、挙句の果てには16分音符のキメまで合わせてしまう傍若無人ぶり。
それやっちゃったら、フリー・ミュージックじゃないから。
ただ、この時期、曲を作ったり編曲をしたりしないで良いというのが、自分的には嬉しかったなあ。
リハーサルでスタジオに行っても、「今日はフリーだから」って。
他のメンバーの如実に落胆した顔が嬉しかったし。
合宿で終日ほとんど回しっぱなしにしたテープをたまに聞いてみると、別の意味でぶっ飛ぶわ。


つーことで、すっごくレアな動画を見つけたので貼っておこう。
1978年頃の(Wavesが出た当時の)Terje Rypdal Group のスタジオ・ライブ。
あまりにもレアすぎてデータが喪失している部分があるらしく、前半と後半は画像表示だけだが、中盤で動画になります。

2つ目は1994年頃の Terje Rypdal-Trilok Gurtu-Miroslav Vitous によるステージ。
いやはや。
聴く人によっては、すっごくつまらない音楽なのかもしれないが、自分的にはワリと好き。

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